SOMPO美術館「モダンアートの街・新宿」レビュー|佐伯祐三《壁》に足が止まった日

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平日に時間ができて、ふと思い立ってSOMPO美術館へ向かった。
チラシに載っていた佐伯祐三の《立てる自画像》を、少しだけ見てみようと思ったのがきっかけだった。

SOMPO美術館「モダンアートの街・新宿」

展示室は静かだった。
新宿という都市の名を冠した展覧会でありながら、そこにあったのは騒がしさではなく、じっと立つ画家たちの気配だった。

岸田劉生《武者小路実篤像》。
佐伯祐三《立てる自画像》。
そして《壁》。

いくつかの絵の前で、足が止まった。
視線が動かなくなる。
都市の孤独と、画家の重たい呼吸が、そこにあった。

目次

偶然入った展示室で、足が止まる

「少し覗くだけ」のつもりだった。

新宿という街の歴史を辿る展覧会。
中村屋サロン、白樺派、パリと新宿を往還した画家たち。

知識としては知っている名前が並ぶ。
けれど、その日強く残ったのは、説明よりも「立っている姿」だった。

展示室は平日で静かだった。
作品の前に立つと、音が消える。

都市の展示なのに、そこにあるのは静寂だった。

岸田劉生《武者小路実篤像》─圧倒的な存在の密度

《武者小路実篤像》
岸田劉生

決して大きな画面ではない。
けれど、圧がある。

真正面を向く武者小路実篤の顔。
少し硬い表情。
背景の簡潔さ。

友人を描いた肖像だという。
しかしそこには親しみよりも、緊張感がある。

岸田劉生の視線は甘くない。
対象を美化しない。

ただ、そこに存在している人間を、
逃げずに描いている。

絵の前で足が止まったのは、
その覚悟のようなものに触れたからかもしれない。

佐伯祐三《立てる自画像》─生き急ぐ筆の静けさ

佐伯祐三の自画像は、堂々と立っている。
線は簡潔で、装飾はない。

《立てる自画像》
佐伯祐三

表情は読みにくい。
強いとも弱いとも言い切れない。

けれど、身体は確かにそこにある。

生き急いでいるような筆致。
速さを感じさせるタッチ。

それでも、画面は不思議と静かだ。

立っているということは、
ただ姿勢の問題ではないのだと思う。

都市の中で、自分の形を保つこと。
その不安と強さが、同時に滲んでいた。

《壁》─都市の孤独と文字の重さ

そして《壁》。

《壁》
佐伯祐三

フランス時代の作品。
壁面に刻まれた文字。
速い筆の動き。

広告の文字は記号でありながら、
画面の中で重さを持つ。

匿名の都市。
名前のない壁。

そこに描かれた文字は、
消えそうで、しかし強く残る。

佐伯祐三の絵には、
いつも孤独がある。

けれどそれは、崩れ落ちる孤独ではない。

立っている孤独だ。

《壁》の前で、
しばらく動けなかった。

新宿という土地が抱えてきたもの

この展覧会は、SOMPO美術館開館50周年を記念し、
新宿という土地とモダンアートの関係を辿る構成になっている。

中村彝、佐伯祐三、松本竣介。
そして宮脇愛子へと続く流れ。

新宿には、芸術家が集まり、
また別の芸術家を呼び込んできた歴史がある。

都市は冷たい場所だと思われがちだ。
けれど同時に、何かを始める場所でもある。

新宿という街が、
画家たちを「立たせてきた」のかもしれない。

立っているということ

岸田劉生の視線。
佐伯祐三の身体。
壁に刻まれた文字。

どの作品にも、
逃げない姿勢があった。

都市の孤独は、
弱さではないのかもしれない。

それは、自分の輪郭を引き受けること。

絵の前に立ちながら、
そんなことを思った。

エピローグ─東郷青児《超現実派の散歩》

最後に、SOMPO美術館のロゴマークにもなっている
東郷青児《超現実派の散歩》を観た。

《超現実派の散歩》
東郷青児

白い人物が、
月に手を伸ばしている。

軽やかで、どこか夢の中のような世界。

重たい新宿の歴史を辿ったあとに、
この作品があるのは象徴的だと思った。

都市は、現実だけでできているわけではない。

現実と幻想のあいだを、
人は歩いている。

展覧会を出ると、
いつもの新宿の街が広がっていた。

けれど、少しだけ、
見え方が変わっていた。

展覧会情報

展覧会名
開館50周年記念 モダンアートの街・新宿

開催期間
2026.01.10(土)- 02.15(日)

開館時間
10:00 – 18:00(金曜日は20:00まで)
(入館は閉館30分前まで)

休館日
月曜日、1月13日(ただし1月12日は開館)

会場
SOMPO美術館

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