「自分を信じる」
昔の僕は、この言葉があまり好きではありませんでした。
「自分を信じれば、きっとうまくいく」
そんな言葉を聞いても、
「自分を信じるって何? 妄想?」
くらいに思っていたんです(笑)。
未来がどうなるかなんて分からない。
夢や目標が100%叶う保証もない。
それなのに「自分を信じろ」と言われても、どこか絵空事のように感じていました。
でも最近、コーチングやプロセスワークを通して自分自身を見ていく中で、この言葉の意味が少し変わりました。
今の僕にとって、自分を信じるとは、
「絶対に失敗しない」と信じることではありません。
何が起きても、自分で感じ、考え、そしてまた選び直せる。
その自分を信用することです。
「自分に期待していた」ことに気づいた
きっかけは、コーチングやプロセスワークの体験でした。
悔しさや悲しさ、焦燥感が出てきたときに、
「この奥には、どんな願いがあるんだろう?」
と、自分の内側を見ていたことがあります。
そこで出てきたのが、
「僕は案外、自分に期待していたんだな」
という感覚でした。
これは、自分でも意外な発見でした。
これまでも夢や目標を掲げたことはあります。
でも、「自分自身に期待している」という感覚を、心の底から感じたことはあまりなかったんです。
それに気づいたとき、同時に、
「自分を信じられるのは、自分なんだな」
という言葉が、妙にしっくりと身体を通っていきました。
以前の僕なら、たぶん毛嫌いしていたような言葉です(笑)。
でも、自分の可能性に期待するということは、ある意味では、自分を信用するということでもある。
そう思うようになりました。
もちろん、それから悩みがなくなったわけではありません。
今でも心は揺れます。
「自分を信じられるようになったから、もう不安になりません」なんて話ではない。
それでも以前より、未来の自分を信用しながら動けるようになった感覚があります。
100%信用するのは、「成功する自分」ではない
「自分を信じる」という言葉は、
「自分ならできる」
「必ず叶う」
「絶対に成功する」
と確信することのように語られることがあります。
でも僕は、そこには少し違和感があります。
未来に100%の保証なんてありません。
失敗するかもしれない。
負けることもある。
願ったものが手に入らないことだってある。
「絶対に叶う保証はない」と思えば、僕にも怖さがあります。
諦めたくなることもあるし、絶望感や悲壮感のようなものが出てくることもあります。
そりゃあ、100%叶うなら嬉しいですよね。
「現状とのギャップがあるからこそ燃えるんだ」と言う人もいますが、
本当にそうか?
と思ったりもします(笑)。
ただ一方で、100%勝てるゲームも、僕はたぶんすぐに飽きます。
負ける可能性があるから工夫する。
できなかったから、次を考える。
そうやって、自分の中に新しいものが増えていく。
だから、保証がないことを無理に肯定する必要もないし、怖さや悲しさを消す必要もないと思っています。
その怖さは、
「今の自分」と「こうありたい自分」の間にあるもの
でもある。
悲壮感や焦燥感の中に、未来への期待が一緒に入っていることもある。
僕が信用したいのは、必ず成功する未来の自分ではありません。
未来で何が起きても、そのときの自分もまた感じ、考え、選び直していける。
僕が信用したいのは、そちらの未来の自分です。
外側に、自分の人生の正解を預けない
僕たちは、たくさんの外側の評価の中で生きています。
会社で働けば、評価や給与がある。
SNSには、いいねやコメント、フォロワー数や「バズる」という分かりやすい数字がある。
自分の知らない分野の話になれば、
「自分なんかが意見を言っていいのかな」
と思うこともあります。
そして、誰かと比べる材料は無限にあります。
自分よりうまくいっていないように見える人を見れば、少し安心するかもしれない。
でも、そのすぐあとに、自分より大きなことを成し遂げているように見える人と出会えば、今度は劣等感に飲み込まれる。
そうやって、
「自分の人生は正解なのか?」
を確かめるために、外側を見続けてしまう。
僕自身、何度もやっています。
本当は少し休みたいのに、
「みんな働いているから」
と予定を入れる。
何かに違和感があるのに、
「普通はこうだから」
と飲み込む。
やってみたいことがあるのに、
「今さら遅い」
と、最初から選択肢から外してしまう。
そんな小さな場面でも、僕たちは自分の人生の判断を外側に預けていることがあります。
もちろん、他人の意見を聞かないということではありません。
信頼できる人からのアドバイスはありがたいし、自分だけでは見えなかったものを教えてもらうこともあります。
でも、その人が死ぬまで僕の人生を保証してくれるわけではありません(笑)。
だから最後のところだけは、自分に返しておきたい。
「それでも、自分はどう生きたいんだろう?」
という問いです。
「どの世界を生きるかを選ぶ」ということ
ここで僕が言う、
「自分がどの世界を生きるかは選べる」
というのは、嫌な現実をなかったことにしたり、何でもポジティブに解釈したりすることではありません。
現実に起きていることは、起きている。
お金が足りない。
仕事で評価されなかった。
誰かとの関係が終わった。
願っていたことが、まだ叶っていない。
その事実まで書き換えることはできません。
ただ、
その事実だけに、自分の未来まで決めさせる必要はない。
「もう選択肢がない」
という場所から世界を見るのか。
「ここから僕は、何を大切にして、何を選びたいんだろう」
という場所から見るのか。
同じ現実の中でも、起点が変われば、その先に見つけられる選択肢は変わることがあります。
だから僕にとって「世界を選ぶ」とは、
自分の感覚をすべて正解にすることでも、自分勝手に生きることでもありません。
現実を見て、人の言葉も受け取る。
そのうえで、
「自分は何を大切にしたいのか」
「この人生を、どう生きたいのか」
その最後の選択を、自分に戻すということです。
僕自身も、何度も選び直してきた
振り返ってみれば、僕自身もすでに何度も選び直していました。
仕事では、正社員としてデザイナー、PM、採用人事、マーケティングなど、いくつもの役割を経験してきました。
そして今は、それだけではなく、絵を描いたり、コーチングをしたりしています。
以前なら「三足の草鞋」と言っていたかもしれません。
でも最近は、
草鞋なんて何足履いてもいいんじゃないか
と思っています。
創作についてもそうです。
以前はどこかで、
「キャンバスに絵の具で描いたものじゃなければ、“作品”として出せない」
と思っていました。
今はインクで描くことに夢中になっています。
紙に描いた短いドローイングも、そこに添える言葉も、自分にとっては作品です。
さらに言えば、作品をつくっている時間だけでなく、暮らしや仕事、人との対話も、自分の表現と切り離せないものになってきました。
人間関係でも、以前より自分の意見を伝えたり、
「これは相手の気持ちで、これは自分の気持ち」
と、少しずつ分けて考えられるようになってきました。
仕事も、創作も、人間関係も、生き方も、途中で変わっていい。
生きていれば、新しい人や考え方、芸術や価値観に出会います。
それまで知らなかったものに出会えば、願うものだって変わる。
僕自身、以前より未来に描いているものが大きくなりました。
それは、過去の自分が間違っていたということではなく、
生きてきたから、願えるものが変わった
ということなのだと思います。
自分で選ぶことと、自分を信用すること
自分で選んだからといって、すぐに自信満々になるわけではありません。
選んだあとで、
「本当にこれでよかったのかな」
と不安になることだってあります。
でも、
「これは自分で選んだ」
という小さな実感は、自分への信頼を少しずつ育てるのではないかと思っています。
自分で選ぶ。
うまくいかなければ、また考える。
もう違うと思ったら、選び直す。
そうしているうちに、
「案外、自分は何が起きてもやっていけるかもしれない」
という感覚が少しずつ増えていく。
僕にとっては、それが「選択と自信のループ」なのだと思います。
自信がついてから選ぶのではなく、
選ぶことによって、少しずつ自分を信用できるようになる。
そして、自分を少し信用できるから、また次の選択ができる。
自分を信じられなくても、始められる
では、
「自分を信じるには、どうしたらいいのか」
僕は、無理に「自分を信じよう」としなくてもいいと思っています。
自分の気持ちが分からないこともあります。
何をしたいのか言葉にならないこともある。
今は決められない、ということだってある。
世の中には、きれいに言語化された答えがたくさんあります。
その一方で、
まだ名前のついていない感覚や、矛盾した気持ち、
「分からない」
という状態は、置いていかれやすい。
でも、自分の気持ちをまだ自分でも保証できないところから始めてもいい。
もし何から始めればいいのか分からなければ、一度だけ、
「これは、本当に自分が選びたいことだろうか?」
と、自分に聞いてみてもいいと思います。
答えが出なくても構いません。
「分からない」と気づくことだって、自分に戻ることの一部です。
すぐに答えを出すことより、
自分の声が聞こえる余白を少しつくる。
そこから始めてもいい。
保証がないまま、自分の人生を生きる
今の僕にとって「自分の人生を生きる」とは、
自分が心地よいと思う未来の姿へ向かって歩いている状態
なのだと思います。
そこに、嬉しさや生きている喜びがあること。
そして不思議なことに、自分が満ちていると感じられるときほど、僕は周囲の人や世界にも感謝しています。
「自分の人生を生きる」というのは、他人を切り離して、自分だけ好き勝手に生きることではありません。
暮らしがあって、人との関係があって、その関係を育てることも、自分の人生の一部です。
人の言葉を受け取ってもいい。
助けてもらってもいい。
迷ってもいい。
自分を信じられない日があってもいい。
それでも最後には、また自分に戻ってくる。
そして、そこからもう一度選ぶ。
保証なんてない。
それでも、世界は選べる。
「100%自分を信用する」って、絶対に失敗しないと信じることじゃなくて、何が起きても自分で選び直せることを信用すること。
そんなふうに、自分の人生を生きてみる。
もし、ここまで読んでもまだ自分の気持ちがよく分からなくても、それでいいと思っています。
無理に「自分を信じなきゃ」と思わなくてもいい。
この記事を読んで、ほんの少しでも自分の方を向いたのなら、もうそこから何かは始まっています。
肩の力を抜いて、ゆっくり自分と向き合う時間を持ってみてください。
案外、自分の人生には、今見えているよりもたくさんの選択肢と、まだ知らない世界があるのかもしれません。
一人では見えにくいものを、対話から見ていく
一人で考えていると、同じところを何度も回ってしまうことがあります。
そんなときには、誰かとの対話を使って自分を見ていく方法もあります。
僕はライフコーチング「渡り。」で、正解を渡すのではなく、まだ言葉になっていない感覚や願いも含めて、その人自身が何を感じ、どう生きたいのかを一緒に見ていく時間をつくっています。
まだ何を話したいのか分からない状態からでも大丈夫です。
変化の途中にある自分を見ていく。

何かが変わり始めている気がする。
けれど、まだうまく言葉にできない。
迷いや違和感、感情や身体感覚の中には、
今の自分を知るための手がかりが
隠れていることがあります。
ライフコーチング「渡り。」では、
問いと対話を通して、
自分の内側と、今の人生で起きている
変化や流れを見ていきます。
答えや正解を示すのではなく、
本音や願いへの理解を深め、
自分自身の選択や行動につなげていく時間です。
体験セッションを申し込む
ご希望の方は、公式LINEを追加して
「コーチング希望」とメッセージをお送りください。
今すぐ継続を決める必要はありません。
まずは体験セッションで、
今起きていることを一緒に見ていきます。















