新しい名刺をつくった。
片面には絵。
もう片面には、名前とSNS、Webサイト。
そして、名前の上に、
「絵描き|ライフコーチ」
と入れた。
できあがった名刺を眺めながら、少し前に観た映画『急に具合が悪くなる』に出てきた言葉を思い出した。
「あなたは誰?」
とても短い問いなのに、答えようとすると難しい。
僕は誰なんだろう。
あなたは誰なんだろう。
「得意なことがない」と言われたら
最近、ライフコーチングのセッションでも、似たようなテーマに触れることがあった。
「自分には得意なことがない」
「何が得意なのかわからない」
「ちゃんとした肩書きがある人を見ると、自分には何もないように感じる」
こういう感覚は、案外いろいろな場面で顔を出す。
転職や面接で「あなたの強みは?」と聞かれたとき。
SNSで「○○の専門家」と名乗っている人を見たとき。
初対面の人に「何をしている人なんですか?」と聞かれたとき。
好きなことはいくつかある。
仕事もしてきた。
それなりにできることだってある。
それでも、
「で、結局あなたは何が得意なの?」
と聞かれると、急に自信がなくなる。
僕自身も、「あなたの得意なことを一つ挙げてください」と言われると、少し困る。
絵を描いている。
ライフコーチングもしている。
会社では採用人事を中心に、マネジメントやマーケティング、PRなどにも関わっている。
でも、その中から一つだけを取り出して、
「これこそが僕です」
と言う感覚はあまりない。
得意なことがわからないのは、なぜだろう
「得意なこと」と聞いたとき、僕たちは無意識にハードルを上げていることがある。
人より上手くできること。
仕事として高く評価されること。
資格や実績があること。
何年も専門的に続けてきたこと。
もちろん、それらも得意なことだと思う。
でも、それだけを「得意」と呼ぶなら、ほとんどのことは候補から外れてしまう。
そして最後には、
「自分には得意なことなんてない」
となってしまう。
もしかすると、得意なことがないのではなく、
「得意」と認めるための条件が厳しすぎる
こともあるのかもしれない。
肩書きは、自分を証明するものではない
今回、僕は名刺に「絵描き|ライフコーチ」と書いた。
でも、それを書いたことで、
「これでようやく自分が何者なのかわかった」
とは思わなかった。
むしろ肩書きは、自分が何者なのかを証明するものというより、自分のことを誰かに伝えるための便利なツールくらいに思っている。
初めて会った人から、
「普段は何をされているんですか?」
と聞かれて、毎回これまでの人生を10分かけて説明するわけにもいかない。
だから、
「絵描きです」
「ライフコーチもしています」
と伝える。
そのほうが早い。
肩書きは、僕そのものではない。
今の僕がやっている営みを、いったん誰かに手渡すための言葉。
僕にとっては、そのくらいの距離感がちょうどいい。
絵描きとライフコーチは、別々だけれど別々でもない
絵を描いているとき、僕は、
「ライフコーチとして絵を描いている」
と思っているわけではない。
誰かとセッションをしているときも、
「絵描きとしてこの人の話を聞こう」
と考えているわけではない。
その瞬間は、それぞれ別のことをしている。
でも、不思議と完全には切り離されていない。
コーチングやプロセスワークを学び、人の話を聞き、自分の感覚を見るようになったことは、絵にも入ってくる。
逆に、絵を描く中で触れてきた、まだ言葉にならない感覚や、曖昧なものをすぐに決めつけずに見ている時間は、人との対話にも入ってくる。
一つひとつは別の営みだけれど、その間を何かが行き来している。
だから、「どちらが本当の僕なのか」と決める必要を、今のところ僕は感じていない。
どちらも、僕が暮らしの中でやっていることだからだ。
スペシャリストじゃないと価値がない?
仕事では、スペシャリストとジェネラリストという分け方をすることがある。
一つの領域を深く掘る人。
いくつもの領域を横断する人。
僕自身は、たぶん後者に近い。
以前なら、それを「器用貧乏」と捉えることもできたと思う。
どれもできるけれど、何か一つだけ突出しているわけではない。
でも今は、それだけが見方ではないと思っている。
AIがさまざまな技能を補完するようになっていく中では、一つの技能だけではなく、異なる領域をつないだり、問いを立てたり、「そもそも何をするのか」を考えたりする力にも価値が出てくるのではないか。
これは今のところ、僕個人の見方にすぎない。
そして、「だからジェネラリストになったほうがいい」と言いたいわけでもない。
スペシャリストでもいい。
ジェネラリストでもいい。
その分類まで、新しい「正しい肩書き」にしてしまう必要はないと思う。
「得意なことがない」のではなく、物差しが少ないのかもしれない
僕が一番気になっているのは、ここだ。
「自分には得意なことがない」と感じたとき、
本当に何もないのだろうか。
それとも、
自分を見るために使っている物差しが、少なすぎるだけなのだろうか。
仕事で評価されるか。
人より上手いか。
お金になるか。
肩書きにできるか。
それだけで自分を見ると、そこからこぼれ落ちてしまうものがたくさんある。
たとえば、
なぜか何度もやってしまうこと。
人から自然と頼まれること。
誰かに言われるまで、自分では特別だと思っていなかったこと。
何をしているときに、自分の感覚が少し動き出すのか。
そういうところにも、その人らしさは現れている。
必ずしも、それを「強み」という名前に変換しなくてもいい。
でも、自分を見るための材料にはなる。
「得意なことを見つける」というより、
自分という人間を、もう少したくさんの方向から見てみる。
そう考えると、少し違う景色が見えてくることがある。
自分のことは、自分だけでは見えないこともある
ただ、自分を見るのは意外と難しい。
自分にとって当たり前にやっていることほど、自分では価値に気づきにくい。
そして、
「得意なことを探さなくては」
と思えば思うほど、すでに自分が持っている「得意とはこういうもの」という物差しの中だけを探してしまうこともある。
誰かと話しているうちに、
「そういえば、昔からそれをやっていた」
「それって、自分にとっては普通だと思っていた」
「言われてみれば、そこはずっと大切にしているかもしれない」
と、自分一人では見えていなかったものが言葉になることがある。
僕が提供している【ライフコーチング「渡り。」】で大切にしているのも、そういう時間だ。
「あなたの強みはこれです」
「あなたにはこの仕事が向いています」
と、こちらから答えを渡すことではない。
その人が何に反応し、何を大切にしていて、本当はどんなふうに生きたいと思っているのか。
まだはっきり言葉になっていないものも含めて、一緒に見ていく。
だから、
「自分には得意なことがない」
「肩書きに自信がない」
「結局、自分は何者なんだろう」
そんなところから始まる対話もある。
答えが出てから話す必要はない。
むしろ、まだ答えがないところから話していい。
[ライフコーチング「渡り。」について]
https://tomorebi.com/lp/life-coaching/
「あなたは誰?」に、まだ答えられなくても
改めて、できあがった名刺を見る。

片面に絵。
片面に名前と居場所。
そして、
「絵描き|ライフコーチ」。
これは、「僕という人間はこういうものです」という最終回答ではない。
今の僕がしている営みを、ひとまず誰かに渡すための言葉。
きっとこれから、やることも変わる。
肩書きも変わるかもしれない。
それでも、それによって僕そのものが別の人間になるわけではない。
だから今は、このくらいでいいと思っている。
僕は誰?
あなたは誰?
すぐに答えが出なくても、その問いを持っていること自体は、悪くないと思う。

自分を信頼し、自分の人生を選んでいく。

今ある悩みや違和感も、
まだ言葉になっていない願いも、
これから生きてみたい未来も。
ライフコーチング「渡り。」では、
問いと対話を通して、
感情や身体感覚も手がかりにしながら、
自分の内側にあるものを一緒に見ていきます。
答えや正解を示すのではなく、
自分自身への理解と信頼を深め、
自分が生きたい人生を、自分で選んでいくための時間です。
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