描きたいのに、描けない。そんな時間が、思っているより長く続いていました。
他人の絵と比べては手が止まり、「こんな絵では」と自分を小さくする。
本当は描きたいはずなのに、筆が重くなる。
そんなとき、私は抽象画を描きました。何かをうまく描こうとするのではなく、ただ、今の自分の感覚にそっと耳を澄ますように。
比較をやめた日、絵は静かに戻ってきました。
自分に優しくなり、本当に描きたいものを描く方法
私にとっての「方法」は、特別な技術ではありませんでした。

① 比較をやめる時間をつくる
コンペに出そうとするたびに、頭の中で他人の作品が並び始めます。
「こんな絵では評価されない」
「誰々の方が完成度が高い」
何周も同じ思考を繰り返し、気づけば画面を閉じている。
手は止まり、胃の奥が少し重くなる。
描けなくなっていたのは、技術の問題だけではありませんでした。
選択肢が多すぎたのだと思います。
あれも描きたい。
これもやらなきゃ。
SNSも気になる。
コンペも気になる。
頭の中のタブが、常に開きっぱなしの状態。
自分のメモリが不足して、パフォーマンスは散漫になり、どれも中途半端になる。
そして自己嫌悪。
まずやったことは、評価の軸から離れること。
そして同時に、一度に扱うものを「ひとつ」に絞ることでした。
誰にも見せない前提で、今はこれだけを描く。
それだけで、思考のノイズは静かになりました。
② 具象を手放し、抽象で感覚を整える
その日は午前中から昼にかけて。
部屋の電気はつけず、自然光の中で描きました。
白く柔らかい光。
少し曇りがかった青み。
キャンバスにのせたのはブルーバイオレット、スプリングブルー、ディープグリーン、ローアンバー、ジェットブラック。
何を描くかは決めませんでした。
多くはパレットナイフで。
勢いよく、ためらわずに。細部を整えようとせず、色を重ねる感触そのものを味わう。
アクリル絵の具は匂いがなく、乾きも早い。
モデリングペーストやジェッソが、表面をすぐに変えていく。
迷う余白はあっても、思考が暴走する余白はなかった。
「今はこの一枚だけ」。
そう決めていたから、集中は深く、静かでした。
描き終えたとき、シンプルに疲れていました。
運動した後のように。でもその疲労は、消耗ではなく、整ったあとの静けさでした。
描くことが「成果」ではなく、自分に還る時間になった瞬間でした。
③ 内側の声を信じるのではなく、聴き続ける
以前の私は、「自信を持とう」としていました。
でもそれは、どこか力が入る。
抽象画を描いたあの日、私は信じようとはしていませんでした。
ただ、今どんな色を置きたいのか、どの動きをしたいのか、その小さな感覚に耳を澄ませていただけ。
描きたいものは、探しに行くものではなく、すでにある感覚に触れたときに現れる。
そしてそれは、選択肢を減らしたときほど、よく聴こえる。
ひとりで聴こうとすると、途中で詰まることがある
内側の声に耳を澄ませようとしても、
自分の思考の中にいると、どうしても同じところをぐるぐるしてしまう。
対話の中で、はじめて言葉になることがあります。
描くことも、話すことも、どちらも「見えないものを、見えるかたちにしていく」営みかもしれません。
私自身、絵を描きながら、対話を通して「自分に還る時間」をひらく活動もしています。
もし、誰かと静かに話してみたいと思ったなら。
抽象画は簡単なのか
抽象画は、自由に見えるかもしれません。
上手い下手は関係ない。気持ちをそのままぶつければいい。
そんな言葉もよく聞きます。
でも私の感覚では、抽象はむしろ難しい。
正解がないということは、ごまかしも効かないということだからです。
何となく色を置けば、それは何となくのまま残る。
一色を選ぶ。重ねるかやめるかを決める。
止める位置を決める。その連続です。
感覚を聴くということは、適当にすることではありません。
自由であることと、無責任であることは違う。
抽象は、逃げ道のない表現でもあります。
だからこそ、私はそこに整う感覚を覚えました。
描けない時間は、無駄だったのか
描けなかった時間。比べてばかりいた時間。
あれもこれもと手を広げていた時間。
あの散漫さも、無駄だったとは思いません。
自分の限界を知るための時間だったのかもしれない。
整うには、削ぎ落とす必要がありました。
最後に、表現するということ

絵を描くことは、誰かになるための手段ではありませんでした。
評価を超えて、ただ今ここにある感覚に触れる時間。
描くことで、自分を好きになる必要もない。
ただ、自分に還る。
その繰り返しの中で、本当に描きたいものは、静かに輪郭を持ち始めます。
比較に疲れた日、描けなくなった時間——そのどれもが無駄ではなかったとしたら。
絵を描くことと同じように、対話も「自分の内側に光を当てる」営みです。
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